こんばんは。
苔は癒しとセットで語られることが多いです。深い緑と潤いが静かな森や聖域を連想させるからでしょうか。
私が苔の育成について考えているときは胃がキリキリと痛み、手足は鉛のように重くなります。心は癒されるどころか飢えと渇きに満たされ、焦燥と渇望の霧で足もとすら見えません。苔を育てることを望むこと、それはとうの昔に無人となった水晶の都を彷徨するのによく似た行為です。
家から出ると苔はあちこちに生えています。
側溝の蓋の孔は良い生息地です。人に踏まれたり傘でほじくられることが無いため、厚く育ったコロニーが見られます。
道路の車止めの下に生えた苔です。車止めやポールなどで動線の切れたエリアには、苔がよく現れます。
ほぼ垂直の擁壁に生えています。
土嚢と土嚢の間にも生えています。
土嚢の端の縫い閉じたところにも生えています。粘土質の土に土嚢が置かれているため、湿った場所が好きなゼニゴケ類が現れました。
街には細かな段差や人がまず踏み込まない場所が多く、苔はつぎはぎを縫うように生えています。
「別に無理に自分で育てなくてもいいんじゃないかな。玄関から出たらそこに生えているし」
苔を育てるのは植木鉢の中に街を作ろうとするようなものかもしれません。不合理ですが私は苔から何かを得てしまったので、やめることはできないのです。