ランパントリウム

植物とおどろう

そこにいるということ

 こんばんは。「自己肯定感を高く持とう」というツイートを見て、それが出来たら苦労は無いんだけどなあと思いました。そんな気分のときはお散歩をするに限ります。


 擁壁の苔から草が生え、小さな森になっていました……。

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 アメリカフウロの赤い葉が鮮やかです。どこにでも生えている植物でが、垂直面に居ると一枚の絵画に見えます。


 アスファルトの苔から金色の糸が立ち上がっています。これは胞子を作る器官、朔ですね……。

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 スマホマクロレンズの出番です。道ゆく人の邪魔にならないよう、周りを見てからしゃがみます。

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 黄金の秋!という感じです。まだ一月ですが。

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 この朔はまだ熟していないようです。

 柄の中ほどで色が違っています。うっすら透けていて、中にフィラメント状のものが通っているのが見えます。


 苔だけではなく、歩道の環境に適応した樹もあちこちに生えています。アカメガシワ(?)がコンクリートを砕いて根を張っていました。

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 管理の行き届いた道路なのでしょう。幹と枝が何度も伐られたため、根だけが太く成長しています。傷跡からの再生を繰り返し生命力が凝縮された姿です。偶然の残物ですがまるで盆栽のようですね。

 樹には肥大成長という能力があります。縦に伸びるのとは別に幹を太くするための組織があるのです。盆栽が小さくても立派な幹を持つのは、肥大成長の力を引き出す方法で育てているからです。


 こちらも刈り込まれてから何度も再生したであろうヤマグワです。アカメガシワに比べ長い枝が残っています。管理者や場所によって刈り込みの深さが違うのでしょう。

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 枝の太さの違いからすると、この大きさからあまり逸脱しないよう制限されてきたことが分かります。

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 枝と幹が入り組んでいます。かなり偶然盆栽化していますが、枝がまだ若いように思えます。

 どちらの樹も長生きしてほしいです。


 自己肯定感についてはよくわかりません。散歩に出ると植物たちがいます。仮に私がどんなに自分を好きでも嫌いでも、植物たちは変わらずそこに佇んでいることでしょう。

 あるいは、私は植物たちから肯定感を得ているのかもしれません。変わらず佇むということは環境に対する受容であり、環境には私自身も含まれているからです。